2017年1月17日 火曜日
人気ラーメン店の全株式を譲渡。世界を目指すためのM&Aという選択 (2)
Written by 小宮一哲 株式会社YUNARI
第2回 何歳でもチャレンジできる人生を知って
素直だった少年時代の反動から、一気に真逆の世界へ行ってしまった息子に、真面目な父親はかける言葉を見つけることができなかったという。それでも母親が家に居場所をつくってくれていた。
「中2のとき、隠れてバイクを乗り回していたのが母親にバレたんです。そのとき、『どうせ乗るなと言っても乗るに違いない。乗ってもいい、ただし警察に見つかったら素直に捕まりなさい』と言ってのけてくれた豪快な人(笑)」
そして続けて父親との思い出を語ってくれた。
「15~16歳のとき、父親と大喧嘩になったんです。父は上背の大きな人で、力ではかないっこないと子どものころから畏怖していました。それがそのときは勝ってしまったんです。ものすごく驚いたあとに、やってきたその罪悪感たるや……。それからです、守られる立場から守る立場にならねば、と思うようになったのは」
とはいえ、すぐに行動が改まるわけではなく、相変わらず好き勝手な日々を過ごしていたが、小宮青年の心の奥には、“いつか自分を変える”という小さな種が芽生えていたのである。
周囲の環境の変化と相まって、いつまでも子ども時代は続けられないと覚悟を決め、ワーキングホリデーでオーストラリアに。それまで先輩といっても2~3歳年上の程度だったが、オーストラリアで出会った人たちは10歳以上離れた人ばかり。そして彼らが小さな価値観に凝り固まっていた小宮さんに、まったく別な世界を見せてくれた。
「大企業である程度のポジションにいるのに、惜しげもなくそれを捨てて、次の人生にむかっているような人たちばかりでした。彼らに何歳になってもチャレンジはできるのだと教えてもらいました」
地元では仲間とバイクでつるみ、粋がってはいたものの、何者でもない自分にどこか劣等感があったと小宮さん。だがオーストラリアではたとえ所属していなくても社会の一員として堂々していられたこともよかった。
「オーストラリアのキュウリはね、日本のキュウリよりもずっと大きいんです。そんなことも“自分の常識は常識ではない”といちいち思い知らされる出来事だったんです」
広い世界へようやく一歩を踏み出したのである。
帰国後、一念発起して大検を取得すると、短期大学へ進学。さらに4年制大学へと編集も果たす。就職も近づいたある日、将来を考える頭のなかで徐々に形になってきたのが「社長になる」という思いだった。