2017年1月10日 火曜日
人気ラーメン店の全株式を譲渡。世界を目指すためのM&Aという選択(1)
Written by 小宮一哲 株式会社YUNARI
第1回オーストラリアへの前向きな逃避行
「ずっと、いい子をやっていくのに疲れちゃったんですよね」
そう笑いながら話すのは小宮一哲さんだ。『ラーメン of the year TOKYO1週間』最優秀賞をはじめ、数々の賞を受賞した『つけめんTETSU』創業者である。
子どものころの話を聞いていると、高校を3日で中退していると言う。「わが家は普通のサラリーマン家庭。一流中学を目指して、小学校のころは遊んでいるほかの子たちを横目で見ながら、それこそ勉強一筋で頑張る素直な子どもだったと想います。
でも中学受験に失敗。そのまま近所の公立校へ進むのですが、勉強疲れしてたんでしょう、だんだんやさぐれていったんです」
元来のガキ大将気質が頭をもたげ、気に入らなければ先生も親もお構いなし。好き勝手に振る舞いながらも、中学受験で体得した勉強方法の貯金が生きて、つねに成績はトップクラスだったという。本人曰く、学校で誰よりも目立つ存在だったという。
「でも、高校受験も失敗。滑り止めで入った高校も3日で自主退学。それからはもうご想像のとおり(笑)」
高校を辞めた15歳ができる仕事といえば、土木関係の仕事しかない。朝5時に起きて、プレハブを建てる日々が始まった。しかし現場は昼過ぎには終わってしまい、稼いだ小銭はパチンコに費やした。夜周りに集まるのは同じような境遇を持つ者ばかりだった。
「同じ境遇だから安心してしまうんですよね、こんな自堕落も良しだと」
将来を考えることから目を背けて、3年が過ぎたころ、中学の同級生は進学だ、就職だと次の人生を語る年齢になっていた。
「正直に言えば、中学校のころは彼らのことを完全に下に見ていました。相手にもしてなかったのに、社会的な立場は上です。猛烈な焦りを感じましたね」
しかし焦る一方で、中退者に囲まれたぬるい環境が自立を阻んでもいた。人間関係が自分を弱くしていると思った小宮青年は、こう思った。「海外に行ってしまえば、彼らとの関係も断てる!」と。気分は前向きだが事実は逃避である。
とはいえこれまでの自分との訣別するため、向かったのがオーストラリアだった。